人のふり見て

協力してやったはずのことを、全て自分がやりました、
だからこれはやって
なんもしてないでしょ
みたいな言い方されて、
地味に傷ついた。
ぇ、俺の三、四時間画面とにらめっこした事はどこへ行ったの?
だから若干イラついて、頼まれごとを適当に済ました。

でもこれって、適当に済ましていい理由にはならんよね。
そんでさらに、これって自分もやりがちだと思った。
何かをやったから、これはやって。
これって一見平等に見えるけど、すごく理不尽というか、不公平な事だと思う。
一方的な押し付け。

だから、自分もやりがちだから余計イラついたんだと思う。
みんなと同じ考え方を持ちたいとは全く思わないけど、
せめて自分で自分の事を恥じるような人間にはなりたくない。

誰もやりたくないことを、誰よりも率先してできる人に。
何か嫌な事があったときはそれを他人には絶対しないような人に。

少しずつでも変われるよう努力しよう。
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自分のライン。

人は毎日生活する中で、ある程度その行動はパターンにはまっていく。例えば毎日朝決まった時間に起き、学校へ行き、同じ様な顔ぶれと同じような行動をし、帰宅する。日々些細な違いはあれど、ほぼ同じ様な大枠で捉える事ができるものだけを繰り返していく。その中で、様々な事に対する自分のラインが定まっていく。

常識が形成される。(ただし一般的な、というよりは、自分の中の常識、という意味。)

気づいていませんでしたが、他人が言うには私は海外で大きく変わる事ができていた様でした。
しかしこの数ヶ月、明らかに自分の中のラインが、元の位置に戻りつつある事を感じます。
それは私を、ある意味では楽に、非常にに窮屈にさせています。

何を目的に何を楽しむか。

それをぼんやりながらも描きながらこなす!そーゆー時期になっているのかもしれないです。

私とは。

私とはいったいどんな存在なのだろうか。
眼鏡をかけた20代の男子学生。テニスが好き。オーストラリアに約1年滞在した。浪人と渡豪の際の休学で2年の他学生より年食っている。英語多少。三兄弟の三男。電車寝過ごす率5割。東京の大学院進学予定。日々薄膜と戦闘中。体育会系運動部出身。やる事遅い。丁寧にやる事は特段好きとは思わないが、苦痛とも感じない。不真面目に真面目。人見知り。

こんな感じだろうか。よく見るとそれなりに低スペックである私。
そんな私が、自分の生きたいように生きるには、
これから、何を磨き、何を補っていけばいいのだろうか。

随時更新予定。
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